ベオグラードの観光スポット
古くからあるベオグラードの建築物やその街並みは、現在でも訪れる観光客を魅了し続け、多くが観光名所となっている。中でも観光客に最も人気があるのが、カレメグダン公園(Kalemegdan)である。ここは、小高い丘の上にあり、そこから見えるドナウ川・サヴァ川と周辺の景色がすばらしい。ここでは時間を忘れてゆっくりとしたひとときを過ごすことができる。
このカレメグダン公園とテラジイェ広場を結ぶのが、クネズ・ミハイロヴァ通り(Ulica knez Mihailova)である。この大通りは、ベオグラードの中心をなし、ショッピング街として、常に多くの市民や観光客でにぎわっている。また、東ヨーロッパでで最も美しい歩行者天国のひとつともいわれており、この街で最古にして最重要のランドマークであるとして、法律でも保護されているほど。通り沿いに立ち並ぶ多くの建築物は、1870年代に築かれたものである。通りには多くのブランドを取り扱うショッピングセンターなどもあり、ショッピングには最適の場所である。
そして、この通りはベオグラードの中心部にある共和国広場(Trg Republike)へとつながっている。スタリ・グラード区に位置するこの広場には、ミハイロ・オブレノヴィッチ3世の像やセルビア国立博物館、ベオグラード国立劇場などもあり、市内で最も賑やかな場所のひとつである。、また、主要な交通網が交差するこの広場には20以上のバスやトロリーバスの路線が通っている。
ベオグラードの歴史
ベオグラードは、歴史の中で何度となく戦いの舞台となり、歴史的な戦いの多くが起こった場所でもある。第1次世界大戦中のバルカン半島の戦いの多くがベオグラード周辺で起こり、市内の人口は急激に減少した。その後、徐々に人口は増加したものの、第2次世界大戦中にはナチス・ドイツによる大量虐殺行われ、多くの一般市民が命を落とした。ナチス・ドイツによって占領された後にも、連合国軍の攻撃で1,600人が死亡した。
そして、1999年にはコソボ紛争が激化したことにより、NATO空爆を受け、ベオグラードの街は再び大打撃を受けた。建物の多くは再建され、当時の戦いの跡はほとんどの残っていないが、現在でも街の一角には当時の攻撃によって破壊された建物の一部がそのまま残されており、攻撃のすさまじさを物語っている。
ベオグラードでの夜遊び
ベオグラードは安心して夜の街を楽しめることでも知られている。街には、いたるところにクラブがあり、明け方まで営業しているため、週末には地元の人々はもちろん、周辺諸国からベオグラードへ観光にくる人々でも賑わっている。
ほとんど眠らない街ともいえるベオグラードであるが、イギリスのタイムズには、「ヨーロッパで最良のナイトライフの街」と紹介されるなど、夜の雰囲気を楽しむには最適の場所となっている。
より伝統的なセルビアのナイトライフを楽しみたいなら、ボヘミアニズムの地区であるスカダルリヤを訪れよう。この地区には19世紀から20世紀初めにかけて多くの詩人や芸術家たちが集まってきたことで有名なこの地区には、伝統的なレストランが立ち並び、セルビアの伝統料理を楽しむことができる。
レストランのほかにも画廊やホテル、土産物屋など、歴史によく出てくる場所が多数あり、ベオグラードの観光スポットの1つにもなっている。日々2万人もの人々がこの街を訪れ、街の伝統的な音楽や芸術、そしてナイトライフを楽しんでいる。
ベオグラードの文化
ベオグラードでは、演劇・音楽・映画などといった、さまざまな文化的イベントが開催されており、芸術的な要素が溢れる街である。多くの著名な作家も輩出しており、ノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチの代表作の1つである『ドリナの橋』はベオグラードにて執筆された。
そして、市内のスカダルリヤと呼ばれる通りは、ボスミア二ズム(Bohemianism)の雰囲気が今なお強く感じられる場所である。自由奔放な生き方をすることをボヘミアニズムといい、そうした生き方をしている人をボヘミアン (Bohemian) という。20世紀初め、多くの貧しい詩人たちがスカダルリヤに集まってきたという。国内だけでなく周辺の各地から詩人たちが訪れる場所であったという。
また、路上やレストランでは長年にわたり歌や楽器の演奏といったパフォーマンスが催されており、多くの歌手や俳優がこの地域から有名になっていった。現在でも、スカダルリヤにあるレストランには世界各地から有名人が訪れている。