アモイは中国の福建省南東部に位置する経済特区に指定されている港湾都市である。公 害もなく、気候が良く、昔から「海上の花園」や「中国のハワイ」などの美称を持つ、風景優美な街。市民の社会治安に対する満足度が98%に達する、中国で最も住みやすい都市である。
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アモイは中国の福建省南東部に位置する経済特区に指定されている港湾都市である。公 害もなく、気候が良く、昔から「海上の花園」や「中国のハワイ」などの美称を持つ、風景優美な街。市民の社会治安に対する満足度が98%に達する、中国で最も住みやすい都市である。
元(ユエン)、角(ジアオ)、分(フェン)
147万人
漢語、南語
ビンナン人、ビンナン人、ビンペイ人、ビンシー人、客家人など。
1,865,09平方キロメートル
中華人民共和国福建省の南部・台湾の対岸に位置する。
亜熱帯気候に属しており、比較的穏やかな気候である。年間平均気温は21℃で、雨にも恵まれている。(5~8月に雨量が多い)冬季でも暖かいが、日が出ていない時は冷え込む事もある。
-1時間
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コロンス島
コロンス島は厦門でいちばん有名な、南西にある小さな島である。別名「海上の庭園」と呼ばれ、島内には車が走っておらず、人口も2万3000人に規制されている。西部にできた洞窟が、満潮時になると波に叩かれて太鼓の様な音がする事からコロンス島(中国語:鼓浪嶼)と名付けられた。
南普陀寺(なんふだじ)
厦門の南東にある五老峰の山麓に点在する壮大な古刹は、唐時代から1000年の歴史をもっている。釘を一本も使わず建てられた大悲殿や、天王殿、大雄宝殿、蔵経閣、左右廂房、鐘鼓楼などの建物や巨大な岩に刻まれた5mにも及ぶ「佛」の文字は有名です。このお寺では僧侶が精進するための精進料理も食べることが出来る。
武夷山(ぶいさん)
文化世界遺産である武夷山には、大自然の壮大で美しい景色が広がっている。有名な高 級烏龍茶である武夷岩茶の名産地でもある。武夷山風景区と自然保護区を含んでおり、 その中の風景区は周囲60平方キロにわたる。
福建土楼
福建土楼はアモイ市の西約150Kmから200kmに位置する巨大なドーム型伝統住居である。 12~20世紀にかけて客家族が安住のために築き上げた要塞の様な城壁に囲まれた建築 物。福建土楼の外観は、外部から立ち入り出来ない様に巨大な設計になっており、円形 の「円楼」、四角形の「方楼」など特有の建築様式と歴史や文化を誇る集合住宅になっ ている。
アモイの名物は細い麺を、ピーナッツソースを溶かしたスープで食べる沙茶面である。更に揚げ豆腐や豚もつ、痩肉、豚腰肉、油条、パクチーなどを自分の好みでトッピングする。甘辛くピーナッツのいい香りがする人気の名物だ。
そして、アモイの家庭料理に欠かせない薄餅も有名な名物だ。薄餅とは、小麦粉を練って薄く延ばし、焼いたもの。日本ではペキンダックを食べる時に包む皮として使われるものだ。その薄餅に野菜炒めや、ローストチキンのような焼き物、回鍋肉、味噌味の炒め、春巻きの具などを包んで煎り焼いて食べる。
宋朝時代に、廈門の地域の人口は約4000人を数え、住民は農業に従事していた。1387年に廈門城が築かれ、「廈門」という地名が生まれた。17世紀初期に、厦門はポルトガル、スペイン、オランダとの貿易関係を築き上げた。1841年アヘン戦争に敗北し、イギリスに占領された。翌年の南京条約によって外国人に対して開港、1860年代からは茶葉の積出港として海外に知られるようになった。
1938年には日本海軍が占領し、1940年汪兆銘政権が成立した。しかし、1945年8月の日本敗戦に伴い汪兆銘政権は崩壊した。1949年中華人民共和国が創立され、主要幹線道路が開通したが、福建省は中国で貧しい地方の1つだった。しかし1980年に、中国の最初の経済特別区に選ばれる事によって、厦門は外国資本に開放し、経済の原動力となり発展した。