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ケープタウン


ケープタウンについて

南アフリカ共和国の南西の最短に位置するケープタウンはサッカー2010FIFAワールドカップの大イベントで注目の都市。ヨハネスブルグに次ぐ大都会で、南アフリカ共和国第2の都市で西ケープ州の州都である。
ケープタウンは美しい街で、目の前にはテーブルマウンテンがそびえ立ち、街の風景にインパクトを与えている。こんな岩山が街の中に聳え立つ都市は他に見当たらない。ケープタウンは世界各国から観光客が集まる街である。それ故に、旅行者にとっては南アフリカの中で最も動きやすい地域である。治安もヨハネスブルグに比べるとはるかに安全である。
コロニアル風の街並みなど見どころが多く、ケープ半島周辺はテーブル・マウンテンや喜望峰、世界遺産に登録されているロベン島、ワイナリーやビーチなど見所が多く、南アフリカを代表する観光の拠点で知られている。山あり、平原ありと、地形がバラエティに富んでおり、ここを拠点に周辺諸国へ行くツアーなどもたくさん出ている。

ケープタウンの基本情報

通貨

通貨単位 :ランド RAND/S 略号:(ZAR)。補助通貨 :1ランド = 100セント (CENT/S)。

人口

3,497,097人(2007年現在)

言語

11言語が公用語(英語、アフリカーンス語、ズールー語、ンデベレ語、ペディ語(北ソト語)、ソト語(南ソト語)、スワジ語、ツォンガ語、ツワナ語、ヴェンダ語、コサ語)。個所によりフランス語等も通用。

民族

アフリカ系(黒人)、白人、カラード(混血)、インド・アジア系で分類。アフリカ系は、さらに「ングニ系(ズールー、コサ、ンデベレ、スワジ)」、「ソト-ツワナ系(北ソト、南ソト、ツワナ)」、「ツォンガ系」、「ヴェンダ系」の4つに大きく分けられる。

行政区画

南アフリカ共和国 西ケープ州

面積

2,454.72km2(947.8mi2)

位置

南緯33度55分 東経18度25分

気候

地中海性気候

時差

南アフリカ標準時 (UTC+2) (-7時間 南アフリカが正午のとき、日本は午後7時)

ケープタウンの旅行情報

ケープタウン旅行の見どころや文化など、旅行情報はこちら!

ケープタウンの観光スポット

テーブルマウンテン -ケープタウンを象徴する山 -
有名なテーブルマウンテンは、名前の通りテーブルのように平らな頂上がとても印象的。ロープウェイで高さ1086メートルの頂上に上がると、ケープタウンの美しいパノラマが見渡せます。霧がかかると山にテーブルクロスがかかったように見える。

ウォーターフロント
ケープタウン中心部にある2つの旧港に面して広がるショッピングコンプレックス。ケープタウンの19世紀の雰囲気を再現したレトロな建物にレストランやショップが集まっています。

喜望峰 Cape of Good Hope - アフリカ最南西、2つの海が出会う岬 -
アフリカ大陸の最南西端に位置、インド洋と大西洋がぶつかり合うことで有名な岬。この岬の南端(Cape Point)は、喜望峰自然保護区となっており、1100に及ぶ固有種の植物、250種の鳥などが、生息している。遊歩道も整備されている。

ボルダーズビーチ - ペンギンが暮らす海辺の楽園 -
サイモンズタウンの南に隣接する静かな入り江、野生のケープペンギンの保護区域。ケープペンギンはアフリカ大陸に生息する唯一のペンギン。3000羽異常が生息している。海岸沿いにウッドデッキの遊歩道が整備されており、青く美しい海をバックにペンギンたちを間じかに見る事ができる。

ロベン島
ロベン島はアパルトヘイト時代に黒人やカラードの政治犯を収容した刑務所があった島である。刑務所は今は記念碑として公開されていて島全体が世界遺産に登録されている。元大統領ネルソン・マンデラも20年間収容されていた。

ケープタウンのグルメ

ケープ・マレー料理の魅力は、何といっても異国情緒漂うオリエンタルなスパイスを活かした風味。カルダモンやクローブ、シナモン、ターメリック、アニスシードなどの香りをかぐと、南の島のヤシの木陰で、夕涼みでもしている気分になってくる。この調理法は、ヨーロッパからの移民が南アフリカに持ち込んで生まれた独特のもの。1700年代、オランダからケープ植民地に入植した開拓者たちが、当時、同じくオランダ領だったインドネシア・ジャワ島出身のイスラム系の人々をコックとして連れてきたのが始まりといわれている。ジャワ人たちの子孫は今日、「ケープ・マレー人」と呼ばれている。ケープ・マレー系住民の多くは、ケープタウンのシグナル・ヒル(Signal Hill)の丘沿い、「ボカープ(Bo-Kaap/Upper Cape)」地区で暮らしている。観光業に従事しているケープ・マレー系の女性も多く、彼女たちを通じて、郷土料理の数々がやがて世界各国からの旅行者に知られるようになっていった。

そして、南アフリカといえば良質なワインの生産地として世界的に有名。ワイン造りは、その歴史はほぼ建国と同時に始まった。特にウエスタン・ケープ州では、澄んだ空気や良質の水、湿度の少ない土壌、豊かな陽光に恵まれ、ワイン造りが盛んである。南アフリカ産のぶどう品種として、白では"シュナンブラン"、赤では"ピノタージュ"が世界的に有名。

ケープタウンの歴史

南アフリカ西部の先住民はコイ・サン系、東部の先住民はバントゥー系だったが、1652年にオランダ人の入植が始まりケープ植民地を造った。以後フランス、ドイツから移民が続き、オランダ語から生まれた独特の言語を話すアフリカーナーを形成した。イギリスの支配が強まり、ついに1814年、ケープタウンがイギリス領になると、イギリスの支配を嫌ったアフリカーナーたちは内陸部へ移動し、トランスバール共和国やオレンジ自由国を建設した。この間、アジア各地から移入した奴隷や先住民、また白人との間にカラード(混血)が出現した。今でもケープ地方にはカラードが多く、またクワズル・ナタール州にはサトウキビ畑の労働者として移住させられたインド人の子孫が大勢暮らしている。

19世紀末にアフリカーナーが金とダイヤモンドを発見、その産地の支配権を巡り、イギリスとの間にボーア戦争(1899~1902年)が起こった。戦争に勝ったイギリスは、1910年にアフリカーナーの地域を自治領の南アフリカ連邦として統合、独立させた。

1948年にアフリカーナーの国民党(NP)が政権を樹立、アパルトヘイト(人種隔離)体制を築いたが、国際社会から非難されたため、1961年にイギリス連邦を脱退し共和国となった。世界から孤立して人種差別政策を維持、反政府運動を弾圧してきたが、1989年に大統領になったデクラークはアパルトヘイト撤廃政策を進め、1990年にアフリカ民族会議(ANC)元議長ネルソン・マンデラを、1991年には全政治犯を釈放した。1994年の初の全民族参加による総選挙によって、ANC主導の民主政府が成立し、ネルソン・マンデラが大統領となった。1996年、あらゆる差別を明確に禁止した新憲法が公布されたが、治安の悪化と経済状態の是正が今後の大きな課題である。

1999年6月には2度目の全民族参加による総選挙が行われ、ネルソン・マンデラに代わって、ターボ・ムベキ大統領が就任した。

2010年には、サッカーのワールドカップが開催された。

ケープタウン(南アフリカ)の気候

南アフリカは、アフリカ大陸の最南端に位置し、東はインド洋、西は大西洋に囲まれた、豊かな自然と資源を有する国である。沿岸部はケープタウンを中心に、いくつもの見どころや観光地が続く。ひとたび内陸部に入れば、クルーガー国立公園を筆頭に数多くの国立公園や自然保護区が各地で見られる。

大自然の美しさを各地に残しつつ、ダイヤや金の発見によりゴールドラッシュ、ダイヤモンドラッシュが沸き起こり、経済的にもアフリカ大陸最大の国となった。そんな南アフリカだが、アフリカで最もアフリカらしくない国といわれている。それは、白人による国の中枢支配の歴史がほんのひと昔前まであったことが影響を及ぼしたと、考えられる。しかし、それが悪いことだけではなかった、と思いたい。南アフリカがここまで発展したのも、早いうちから歴史の表舞台に登場することにより、アフリカとも、ヨーロッパとも違う独自の文化を育んできたからだと思う。悲しい歴史や、忌むべき事柄も数多く起きた。しかし、そのすべてを乗り越えて、南アフリカは一丸となって新しい時代を歩んでいるのだ。知れば知るほど奥が深く、旅行者の心を惹き付けて止まない国、南アフリカ。その魅力を大自然とともにゆっくり堪能してみよう。

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