モーリシャスの空の玄関口
モーリシャスの空の玄関口は「プレザンス空港」である。正式名称は「サー・シーウサーガー・ラングラーム国際空港」。首都ポートルイスから約45kmに位置し、タクシーで1時間弱かかる。島内のリゾート地への所要時間も大体1時間~1時間半程度である。
タクシーはメーター制ではなく、交渉制である。バスでの移動も可能。主要都市まで行き、宿泊地までさらに乗り継いで行くこともできるが、時間はかなりかかることを覚悟したほうがよい。国際免許があれば、レンタカーを空港やホテルなどで手配できる。左側通行、右ハンドルで日本と同じである。鉄道はない。
離島のロドリゲス島にも空港があり、プレザンス空港とは1日3~5便程度の定期便で結ばれ、所要時間は約1時間半である。
日本からモーリシャスへの直行便はない。香港、シンガポールなどを経由する必要がある。シンガポールからの所要時間は片道6.5~7時間。日本からシンガポールまでを含め、飛行時間はトータルで13時間前後であるが、フライトスケジュールの関係上、往路はでどうしても経由地で1泊しなくてはならない。
モーリシャスの観光スポット
日本ではまだあまり知られていないが、モーリシャスは、リゾート地として広くヨーロッパに知られており、島内の都市をめぐり歩くというより、各島内にあるリゾート施設でゆったりとした時間を過ごすという旅行スタイルが一般的である。
モーリシャスのホテルライフがとても充実しており、宿泊設備、食事、スポーツ施設等個々のサービスは当然ながら、総合的に最高級のサービスを味わうことができる。
毎年、フランス、英国、ドイツで行われている旅行雑誌の「今行きたいビーチリゾート」人気投票では、カリブ、南太平洋、アジアの競争相手を押さえてモーリシャスは常に上位にランクされおり、その理由のトップには「ホテルライフ」における満足度が挙げられている。
メインのリゾートエリアは、「グラン・べ」、「トゥル・オ・ビッシュ」、「フリッカン・フラック」、「ブルー・ベイ」と4つあり、ほぼ東西南北に一つずつ位置している。そのほかにも、「イル・オ・セルフ」という日帰り旅行の行き先として最も人気なビーチがあったり、植物園や海洋公園、国立公園などが島内にあり、自然と共に過ごすことで日ごろの疲れを癒してくれる。
モーリシャスの世界遺産
モーリシャスの世界遺産には、文化遺産が2件ある。
アアプラヴァシ・ガット
2006年に文化遺産に登録された。首都のポートルイスにある。1834年~1910年、インドからの移民(労働者)の迎え入れに使われた建造物群の総称である。モーリシャス初の世界遺産。
ル・モーン・ブラバン
2008年に文化遺産に登録された。島の南西端にある半島である。ル・モーン山という玄武岩の山が聳えていて、19世紀に逃亡した奴隷が身を隠すために使った。モーリシャスで奴隷制度が廃止となったことを警官隊が赴き伝えたが、奴隷たちは来訪理由を誤解し飛び降りてしまい、亡くなった。「自由を求めた奴隷たちの戦いのシンボル」との評価で登録された。絶滅危惧種の植物の生息や、素晴らしい眺望としても知られ、観光名所となってる。
モーリシャスの歴史
1505年にポルトガルの船員が発見されるまでは無人島であった。1598年、オランダ人が上陸。当時の総督オラニエ公マウリッツに由来して「モーリシャス」の国名が付けられた。その後1638年にオランダが派遣部隊を送り植民を開始するが、1710年には放棄した。その後1715年にフランス人が島を占領し、「フランス島 」と名付けられる。1735年フランス人総督のブルドネスが着任し、植民地として栄え始める。その後島の領有を巡って英仏間で戦争が起こり、イギリスが勝って1810年領有権が移る。イギリス領になった1814年、旧名「モーリシャス」に戻される。島から北東へ約2000kmのチャゴス諸島が、イギリス領の時代には併せて支配されていたが、1965年11月、独立直前に分断され、モーリシャス島へチャゴス諸島の住人約1800人が強制的に移住させられる。1968年英連邦王国として独立を果たし、立憲君主制から1992年共和制に移った。独立以降、民主的政治が自由選挙に基づいて続いている。