オマーンの世界遺産
オマーンには4つの世界文化遺産がある(自然遺産も1件あったが、2007年登録を抹消されている)。 ・バハラ城塞 アフダル山の麓にある、13世紀~14世紀にかけて建造された4つの歴史的城塞のひとつ。以前は危機遺産のリストに登録されていたが政府の修復作業によってリストから除外された。
・バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群
アフダル山脈に残されているバットのネクロポリス、そこから西へ2kmにあるアル=フトゥムの塔、バットから南東へ 22kmにあるアル=アインのネクロポリスなど。同時期の墓地遺跡群として、世界的に見ても非常に優れていること、この地方での葬送儀礼の変遷を知るために、この様々な墓地形態の遺跡群が重要であることなどが登録にあたって評価された。
・乳香の土地
アラビア半島南部に残る、古代に乳香の交易によって栄えた遺跡のうち、ドファール地域内に存在するオアシス都市遺跡や港湾遺跡、交易路跡、乳香の群生地が対象である。
・オマーンの灌漑システム、アフラジ
アフラジとは、オマーンに3000以上ある地下水路を利用した灌漑システムであるファラジの複数形のこと。生活用水又は農業用水の供給などに用いられる。このうち5つのファラジが登録対象となっている。
オマーンのグルメ
オマーン料理と呼ばれるものは数少なく、インド料理とアラブ料理の影響を受けているものが多い。日常は野菜やレンズ豆、ラム肉、鶏肉などを用いた、マラク(野菜のカレー)やビリヤニ(炊き込みご飯)、ケバブなどの料理を食べる。お祝いの席では、マクブースと呼ばれるサフランで炊いたご飯に焼いたラムなどの肉や魚を添えたもの、シュウワと呼ばれる、1日以上かけて焼かれた肉などが出される。
マスカットの町にはインド料理やイラン料理、トルコ料理、レバノン料理、中国料理などの様々なレストランがあり、オマーンでは世界各国の料理を楽しめる。
オマーンの歴史
オマーン地域にはアラブ人が紀元前2世紀頃より定住したとされている。7世紀にモハメットがイスラム教を広め、イスラム勢力下となった。1509年にポルトガル人が渡来し、16世紀~17世紀はポルトガルによって支配された。1650年にポルトガルからヤアーリバ朝がマスカットを奪回。
19世紀末までオマーン海洋帝国と呼ばれ、オマーンの商船は商圏をインド洋全域とし、東アフリカ海岸部がその勢力下に置かれた。その後、東洋進出のための拠点としてヨーロッパ列強に利用され、争奪戦がフランスとイギリス間に起き、18世紀末にはイギリスとオマーンが同盟契約を結んだ。1741年に現王家であるブーサイード朝の支配が始まった。1804年には第5代スルタンにサイイド・サイード(サイード大王)が即位した。1832年、ザンジバルに遷都し、この時代に絶頂期を迎えた。1856年サイイド・サイードが死去。オマーンとザンジバルとに国土は分割された。
時代は帆船から蒸気船へと移り、急速にオマーンは衰退した。1891年にはイギリスによる保護国となった。1965年からドファール内戦がドファール地方の反乱によって始まり、1975年まで続く。1967年には石油の輸出が始まった。
1970年にクーデターが皇太子カーブース・ビン=サイードによって起こり自身は国王に即位し、父王サイード・ビン=タイムールは追放された。また、国名をそれまでのマスカット・オマーンから現在の名称に改めた。1971年にはイギリスの保護領からオマーンは独立を果たし、国連へ加盟。さらに2000年には世界貿易機関へ加盟した。