ハボローネの歴史
ボツワナには20以上もの部族が居住している。その中には南アフリカ、ジンバブエ、ザンビア、アンゴラ、ナミビアなど周辺の国々から来た部族もいて、彼らが豊かな文化の多様性をもたらしている。多くの国がそうであるように、都市化と異文化との接触は、大いにボツワナの文化に影響した。植民地行政者の目的と衝突するような文化的伝統は、禁止されたり、かなり排除されたりする場合もあった。しかし、多くの重要なボツワナ文化の鍵となる特徴は、悪影響にもかかわらず生き残った。
ハボローネ・タウンは1986年に市となる。この名前は、バトゥロクァ族のコシ(族長)・ハボローネに由来する。1966年の独立当初、ハボローネは非常に小さな町であった。しかし、ダイヤモンド輸出の拠点であり、経済の中心として発展すると次第に人口が増大し、とても賑やな街となる。それにふさわしく社会資本整備が急速に進んでおり、その整備進行はアフリカで最も賞賛されている。
政治
国会議事堂が置かれているほか、官公庁の庁舎が置かれている。日本やイギリス、南アフリカをはじめとした諸外国の大使館がある。ボツワナが1980年代から1990年代にかけて議長国をつとめ、現在も中心的な位置を占める「南部アフリカ開発共同体(SADC)」の事務局が市内に設置されている。
ボツワナ社会の「生活様式」は、協議会と民主主義の実践において確立された信念である。この「生活様式」は、セツワナのことわざ「戦争の最高形態は対話である」に要約されいる。対立的見解に対しての寛容さは長い間に確立された伝統で、植民地時代以前からのものである。そして、話し合いはいくらやっても決してやり過ぎではないと一般 に考えられている。この特質は、今日のボツワナがなぜ世界で最も民主的な国のひとつであるかを表わしている。
ハボローネの経済
ハボローネ銀行やデビアス、ボツワナ航空など多数の大企業や外資系企業のオフィスが置かれ、経済及び観光の中心地である。ショッピングモールやスーパーマーケットも多く存在し、週末には多くの買い物客が訪れている。アフリカにおいて最も成長のめざましい都市のひとつであり、ITインフラストラクチャーの整備が進んでいる。
ボツワナは鉱業部門だけに頼らず、経済の多角化を図ることが必要だと考えている。よって、製造業と関連産業への投資を促進する様々な政策を打ち出している。輸入代替部門への投資の余地もあるが、産業戦略は輸出志向製造業を重視している。政府は、課税対象として国内市場向け製品と輸出製品の区別 をしておらず、製造業企業への法人税は一律15%で、南部アフリカでは最低です。その他の部門の法人税は25%です。 新しい生産技術の導入と技術移転は重要な検討事項である。一方、製品自体は、輸入された原料、国内調達可能な原料のどちらから製造されることも可能である。
チョベ国立公園
チョベ国立公園はボツワナに数多く存在する国立公園の中でも最も有名な観光スポットである。ザンビアとジンバブエに隣接していることから、日本を含め、欧米からのたくさん観光客が訪れてる。その大きさは10,566km2もあり、アフリカ大陸有数の動植物の楽園である。特にアフリカゾウの生息数はおよそ6万頭といわれ、世界最大のゾウ生息地帯となっているほか、多くのバッファローやカバが生活していることでも知られている。観光スポットとして整備されており、宿泊施設をはじめとする観光客向けの設備も充実している。特に南部アフリカの乾季である5月から9月は、チョベ川の水を求めて動物の大群がやってくることから、観光のベストシーズンに当たる。