タリンはバルト海に面するエストニア共和国で、バルト三国屈指のグローバル都市である。旧称はレバル、ロシア帝国統治時代の名はレーヴェリである。タリンは既に11世紀頃からエストニア人の砦が築かれ、十字軍騎士団のバルセロナでの動きが活発になると、デンマーク王によって1219年に砦は占領され、トームペアの丘に城築された。
その後はドイツ人が入り込み、13世紀の半ばにはハンザ同盟に加盟し16世紀のリヴォニア戦争で商業都市としての繁栄は終わり、スウェーデン、ロシアの支配化時代には要塞都市として強化された。ソ連の占領にもあったが、他のバルトの国々と同じように1991年独立を回復した。
資本主義社会への移行、EUR加盟などを機にして、タリンの経済は大きく変貌を遂げ、第一に西側資本の流入が挙げられる。とりわけ、隣国フィンランド企業のタリンへの進出が盛んで、百貨店のストックマンがショッピングモールを開業させた。また、北欧資本のホテルの開業も相次いでいる。情報技術産業が盛んで、「バルト海のシリコンバレー」とも呼ばれ、実際にタリンはカリフォルニア州のシリコンバレーの都市ロス・ガトスと姉妹都市になっている。Skype(スカイプ)が最初に開発されたのもタリンである。