1537年に、ラプラタ川からアルト・ペルーへの陸路を探す遠征の途上に、サラサールらによって建設された。当初は砦であり、1541年に先住民の攻撃のため放棄されたブエノスアイレスからの避難者を迎え、市としての体裁が整えられた。
市は南米の都市の中でも歴史の古い部類に属し、スペイン人やクリオーリョたちに大陸中南部の征服と植民地建設の足掛かりを提供した。
同市からの植民団がラプラタ川流域内外の広い範囲に都市を建設したため、諸都市の母と呼ばれる。 1731年アンテケラ=イ=カストロの率いる市民がスペインの支配に対して蜂起した。
三国同盟戦争中の1869年、市はブラジルの軍隊に占領され、首都はルケに、さらにそこも危険になると60kmほど東のピリベブィに移転した。