パラグアイの空の玄関口
パラグアイの空の玄関口は、首都アスンシオンの中心部から約20キロメートルのルケに位置するシルビ ・ペティロッシ国際空港(アスンシオン国際空港)である。日本からの直行便は無く、北米(ニューヨークやロサンゼルス)を経由し、さらにアルゼンチンやブラジルの主要都市(ブエノスアイレスやサンパウロ)などで乗り継いで行くのが一般的である。所要時間は乗り継ぎも含めておよそ30時間。ヨーロッパやメキシコ経由の行き方もある。
空港からアスンシオン市内までの移動はタクシーを利用して所要時間約30分、料金は約20ドルである。路線バスを利用する方法もあるが、空港ターミナルからバス停までやや離れていることと、リムジンバスのような旅行者向けのものではないため、タクシーでの移動が一般的である。
パラグアイのグルメ
パラグアイの料理は、先住民グアラニー族の食文化と、かつて統治されていたスペインの影響を受けているのが特徴である。また、この国の主産物は肉や牛乳、チーズ、とうもろこしなどであり、代表的な料理にはボリ・ボリ(とうもろこしの粉でできたすいとんをチキンスープに入れたもの)、ソージョ(ひき肉と野菜などのスープ)、ギーソ(トマト味の雑炊)、ソパ・パラグアージャ(料理名はパラグアイ風スープを意味するが実はコーンケーキ)などがあり、また、アサード(バーベキュー料理)などアルゼンチンやブラジルと共通したものもある。
マテ茶をよく飲む習慣があり、中でもテレレ(冷水でいれるマテ茶)はこの国ならではの飲み方で名産品となっている。パラグアイにはこれら郷土料理の他にも、日本人移住地があるため日本料理店もあり、また、イタリア、中国、韓国、スペイン、ドイツ、ペルー、ブラジル、ポルトガルなど世界各国の料理を楽ことができる。
パラグアイの歴史
この地には先コロンブス期にグアラニー族や狩猟民族の存在があったとされている。1537年、スペインが植民地化すると、この植民地社会と、イエズス会士によるグアラニー族へのカトリック布教村落との二重社会が成り立ち、現在のパラグアイ共和国の前の形といえる領域的な一体感が、スペインによる統治の下で形成された。高度な文化をグアラニー族が発展させたイエズス会の布教村落は1767年に起きたイエズス会追放により衰退し、その後1811年に他のイスパノアメリカ諸国に先駆けてパラグアイは独立を果たした。
独立後、国家は南米で最も産業化が進んだものとなったが、1864年~1870年に起きた三国同盟戦争により大幅な国土と半数以上の国民を失い、その基盤は完全に崩れた。その後、停滞した社会のまま20世紀を迎えチャコ戦争、内戦を経て、1954年に起きた軍部のクーデターによって、アルフレド・ストロエスネルによるラテンアメリカでも稀に見る独裁政権が樹立し、その後35年にも及んだ。しかし、1989年にロドリゲス将軍によってクーデターが勃発し独裁政権は崩壊、同年5月ロドリゲス将軍は大統領選挙で勝利し、1993年まで政権を担当し民主化政策をとった。