アンカラ(Ankara)は、アナトリア半島の中央、アナトリア高原の東端に位置するトルコ共和国の首都。人口約358万人を抱え、イスタンブールに次ぐ国内第2の都市である。トルコの政治の中心であるとともに、商業や産業においても核となってる。都市は主に、オスマン帝国時代以前からあるウルスと呼ばれる歴史的旧市街と、1920年代以降のイェニシェヒルと呼ばれる政府によって計画的に建てられた近代的な新市街、そのほかの郊外地区からなっており、モダンな建造物と、多くの古代遺跡とがうまく調和された都市である。
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アンカラ(Ankara)は、アナトリア半島の中央、アナトリア高原の東端に位置するトルコ共和国の首都。人口約358万人を抱え、イスタンブールに次ぐ国内第2の都市である。トルコの政治の中心であるとともに、商業や産業においても核となってる。都市は主に、オスマン帝国時代以前からあるウルスと呼ばれる歴史的旧市街と、1920年代以降のイェニシェヒルと呼ばれる政府によって計画的に建てられた近代的な新市街、そのほかの郊外地区からなっており、モダンな建造物と、多くの古代遺跡とがうまく調和された都市である。
トルコリラ(TL)
約358万人(2003年)
トルコ語
主要民族はトルコ人。そのほか少数派民族として、クルド人など。
2,516平方キロメートル
北緯39度52分、東経32度52分、アナトリア半島の中央、アナトリア高原の東端に位置する。
アンカラは大陸性気候である。夏は酷暑となりサングラスや帽子が必要である。また、冬は非 常に寒冷であり、しっかりとした防寒対策が必要である。降雨は春と秋に集中する。
日本との時差は-7時間。サマータイム(3月最終日曜日から10月最終日曜日)は-6時間。
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アンカラの空の玄関口は市の中心部から北東へ約28kmに位置するエセンボーア国際空港である。空港の利用者数は約495万人(2007年)、うち約360万人は国内線を利用している。国内の空港の利用者数では、全体で第4位、国内線では第3位、国際線では第7位である。
日本からの直行便はないので、イスタンブール経由で行くのが一般的である。所要時間は日本からイスタンブールまでが約13時間、イスタンブールからは約1時間である。空港から市内までの移動はシャトルバスやタクシーを利用、所要時間は約40分。
アタテュルク廟
1953年に完成した、アヌトテペ地域の高台に位置するトルコ共和国創立者のムスタファ・ケマル・アタテュルクの廟。現代のトルコを代表する建築物といえる。夏には光と音によるショーが催される。年中無休。隣接して博物館があり、アタテュルクの銅像や所有物、記念品、衣装、手紙、写真などの展示物がある。月曜休館。
アナトリア文明博物館
アンカラ城門の近くに位置する。建物は古いキャラバンサライと呼ばれる隊商宿を改造したもので、旧石器時代から年代順に歴史的価値のある貴重な展示物が陳列されている。月曜休館。
独立戦争博物館
ウルス広場近くに位置する。この建物はトルコ共和国初の国会であった。この場所で、独立戦争の際に作戦会議を行い指揮がとられ、当時の様子を記録した数多くの写真や記念品が展示されている。月曜休館。
アンカラ城
ローマ帝国時代に完成した城。その後、修復と増築がビザンチン帝国とセルジュク朝によって行われた。この地域はアンカラの地区で最も古く、伝統的な建造物が城壁内に多数あり、緑も豊かである。
ローマ浴場跡
ウルス地区チャンクル通りに位置する。ローマ浴場の典型的な特徴である冷浴室(フリギダーリウム)、微温浴室(テピダーリウム)、高温浴室(カルダーリウム)を備えている。カラカラ帝(3世紀)の時代にアスクレピオス(医学の神)を讃えるために作られた浴場である。現在残っているのは基礎部分と1階部分のみ。
その他、アンカラの観光スポット
共和国博物館、アタテュルク邸博物館、勝利のモニュメント、モスクなど。
アンカラには世界三大料理のひとつとされるトルコ料理以外にも、世界各国の料理がそろっている。カフェやカジュアルなレストランの他、新市街には高級レストランも多くある。代表的なトルコ料理はケバブや豊富なメゼ(前菜)、オリーブオイルを使用した料理などである。トルコの菓子もおすすめ。
現在のアンカラの旧市街は古代にフリュギアによって建設されたアンキュラ(Ancyra)という名称の都市であった。紀元前189年、ローマ帝国の支配下に置かれ、アンゴラ(Angora)と呼ばれるようになった。その後は東ローマ帝国、セルジューク朝、オスマントルコ帝国に占領されるが、独立戦争により1923年、トルコ共和国が建国された。
それまで首都であったイスタンブールに変わり首都をアンカラとして、新しい一歩が踏み出された(1930年に名称をアンゴラからアンカラに変更)。街はヨーロッパの都市をモデルとした近代的な街へと都市整備された。現在はイスタンブールに次ぐ2番目に大きな都市であり、トルコにおいて政治、商業、産業の中心となっている。