ペシャワールは、古くから南アジア世界と西アジア、中央アジアを結ぶ東西交易の要衝として発達し、シルクロードの重要な中継地として栄えている。ペシャワールは、地名がペルシャ語で「高地の砦」や「国境の街」を意味するとおり西に60km行けばカイバル峠を経てアフガニスタンとの国境に接している。パキスタンにある4つの州で北西辺境州であるカイバル・パクトゥンクワ州の州都である。
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ペシャワールは、古くから南アジア世界と西アジア、中央アジアを結ぶ東西交易の要衝として発達し、シルクロードの重要な中継地として栄えている。ペシャワールは、地名がペルシャ語で「高地の砦」や「国境の街」を意味するとおり西に60km行けばカイバル峠を経てアフガニスタンとの国境に接している。パキスタンにある4つの州で北西辺境州であるカイバル・パクトゥンクワ州の州都である。
パキスタンルピー(PKR)
122万人(2007年現在)
公用語はウルドウー語、英語。 他にシンド語、パンジャブ語
パシュトゥーン人が主流。
イスラム教
1,257平方キロメートル
北緯34度00分東経71度30分に位置するパキスタン北部の都市
亜熱帯性気候なので夏季は暑く冬季の冷え込みが厳しい。盆地でもあるので酷暑期(4月~9月)の気温は40度を超える。
日本との時差はマイナス4時間
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ペシャワール市内から北西に4kmの位置にある国際空港。直行便がアルアイン、バーレーン、ドバイ、アブダビ、ドーハ、ジッダ、カブール、マスカット、クウェート、リヤドと結ばれている。またラホール、カラチ、イスラマバードなど他のパキスタンの空港を介して他のアジア、ヨーロッパ、アメリカの都市と接続されている。
・ペシャワール博物館(Peshawar Museum)
新市街にある赤煉瓦製のイギリス・ビクトリア様式の古い建物で1901年に開設された。国立ではなく州立の博物館であるが、ガンダーラ美術に関する世界一のコレクションを有している。1階入口の「ガンダーラ地方の全体図」から始まり、各地から発掘された仏陀の生涯をテーマにしたレリーフが展示されている。両サイドの部屋には「花綱模様」「執金剛神像(ヘラクレス)」「鬼子母神像(ハーリーティー)」やジャータカ(釈尊の前世物語)の彫刻が並べられている。2階には各地の民族文化・衣装の展示や古いコインが展示されている。
・キッサ・カワーニ
ペシャワール旧市街にあるカブーリ・ゲート付近から始まるバザールで、奥の方は入り組んだ細い道にお茶屋、金物屋、ジュエリー屋、両替屋などの様々な店がまるで迷路のように並んでいる。
・バーラー・ヒッサール
旧市街を見下ろす小高い丘にムガル帝国時代に建設された壮大な要塞で、ペシャワールのシンボルとなっている。現在で国境軍の駐屯地として利用されているので、一般人は許可なしに入ることができない。ただし、現在ここには歴史的建造物は残っていない。
チャパティカバーブというパキスタン風ハンバーグがよく出される。細かくした肉、卵、パプリカ、玉葱などを混ぜたものにスパイスを加えて焼いた料理で、スパイシーなハンバーグといった感じである。食事の際の注意としてパキスタンは禁酒国なので基本的にお酒は飲めない。特にペシャワール地域は厳格な原理主義のイスラム教徒に近い派閥が力を持っているので、宿泊ホテルの室内以外では外国人でもアルコールは禁止である。
ペシャワールは、紀元前6世紀のガンダーラの王国から始まり、多くの民族の支配を受けてきた。紀元前100年ごろには、人口12万人の世界で7番目に大きな都市であった。 都市としては、クシャーナ朝によってプルシャプラ(Purushapura、サンスクリットで「花の都市」)が建設されたことから始まる。その後、マウリヤ朝の支配を受けこの時代に仏教が伝来した。
カニシカ王(西暦127年に即位)は、釈迦の遺骨を納める最大級のストゥーパ(饅頭のような形に盛り上げられたインドの墓)を建設した。その高さは約120mあり、美しさは他に類を見ないものであると記録されている。西暦988年から16世紀までの間、トルコ系ムスリムの協力を得たパシュトゥーン人が支配するようになった。西暦1526年イスラム王朝のムガール帝国がインドで勃興し、ペシャワールのが再興され市場や要塞の拡充が行われるようになった。