キャンベラの歴史
オーストラリアは、1901年1月1日にオーストラリア憲法が発布され、イギリスから独立した。憲法発布時に現在の6州が制定され、オーストラリア連邦の成立と共に首都を設けることになった。候補地の中でシドニーとメルボルンが首都争いで激しく対立したため、その打開案としてメルボルンとシドニーとの間に直線を引いたほぼ中間地点の土地を1908年に首都と決定した。
この土地は、1913年にオーストラリア先住民のアボリジニ語で「人が出会う場所・出会いの場」という意味を持つキャンベラと命名され、1927年に臨時首都のメルボルンからキャンベラに遷都された。1929年に開かれた初めての国会で、キャンベラは名実共にオーストラリア連邦の首都となった。
建築家ウォルター・バーリー・グリフィンが設計した人工都市で、中央にバーリー・グリフィン湖があり、この湖を軸に国会議事堂などの文化施設が多く設置されている。
国会議事堂
キャンベラ観光の一番に名前が挙げられるのが、首都キャンベラの国会議事堂である。構想10年建築に7年、約10億ドルを費やして1988年に建てられた美しい建築物である。小高い丘の上に立つ国会議事堂はとても斬新でモダンな建物で、そのデザインセンスは秀逸である。正面前庭部分には、アボリジニの芸術家による見事なモザイクが施されている。
建物の内部も豪華な造りとなっていて、至るところに黒、白、赤、グレーの大理石が使われている。そのため、国のトップ・政治家たちが利用する施設ということがわかる。実際に使われている議事堂なども見学することができ、施設の見学だけではなく、国の成り立ち・政治についての展示や学べるコーナーが多くある。
建物外側からは建物の上に上ることが出来るようになっている。議事堂の上からの眺めは、この建物自体が丘になっているため、キャンベラの町全体を見通せるような素晴らしい眺望である。
オーストラリア戦争記念館
オーストラリア戦争記念館は戦没者を追悼するために設立された国立の機関である。 第一次世界大戦で戦死した約6万人のオーストラリア人将兵を追悼することを当初の目的として創立され、首都キャンベラにある記念館には、オーストラリアの戦死者全員の名前が壁に刻まれた回廊と無名戦士の墓がある戦没者追悼のための空間を中心として、建物がたてられている。
館内には、オーストラリアが経験した第一次・第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争ごとにエリアが別けられ、展示が行われている。日本との戦いであった第二次大戦のエリアでは、「ゼロ戦」や帝国海軍の特殊潜航艇による「シドニー湾攻撃事件」の展示などが行われ、戦争の多くの問題を学ぶことが出来る。
スペースドーム&オブザーバトリー
国立博物館、国立美術館、国立図書館、戦争博物館など、教育にかかわる建物が多いキャンベラ周辺は天文施設も充実している。市中北部のディクソンにあるプラネタリウムはオーストラリアでも最新な設備を誇り、南半球の星空を効果的な演出で見せてくれる。 一方、同敷地内にある天体観測所では、天文学者の説明を聞きながら実際に巨大な望遠鏡で星を観測することが出来る。
さらに郊外にはマウントストロムロ天文台、NASAが主宰するキャンベラスペースセンターという宇宙観測施設のひとつがあり、35メートル級の天文観測台ともうひとまわり小さい観測台のふたつが空を見据えている。一般にも開放されているので、南半球の星空を観光の思い出にするのも良い。