カメルーンの空の玄関口
カメルーンの主な空の玄関口は最大都市ドゥアラにあるドゥアラ国際空港である。また、首都ヤウンデにもヤウンデ国際空港があり、整備されたことによって両空港に就航する航空会社も増えてきたが、ドゥアラ国際空港への乗り入れ会社の方が多いのが現状である。カメルーンへの日本からの直行便は無く、ドゥアラ国際空港にはパリ、チューリッヒ、ブリュッセルのヨーロッパの都市を経由する行き方が一般的。
その他にも アジアルートで、バンコクや広州からエチオピア航空でアディスアベバ経由、またはバンコクからケニア航空でナイロビ経由などの行き方もある。ヤウンデ国際空港には、パリ、チューリッヒ、カサブランカ、ナイロビからの便が運航している。
カメルーンの歴史
カメルーンの歴史は国内の遺跡によって約8000年前まで遡ってたどることができる。ピグミーのバカ族が先住民である。カメルーン高地に起源をもつバントゥー語族は他地域へ、侵入者が現れる前に移動した。1470年、国内にポルトガル人が到達したが、拠点を築かなかった。1806年、イスラーム系王国に支配された。
1870年代に入ると、ヨーロッパ内の強国となったドイツ帝国が、入植をドゥアラ中心に始めた。この背景にはアフリカ分割があった。ドイツ保護領カメルーンが1884年に成立し、1911年には全土をドイツによって完全に支配された。ドイツが第一次世界大戦で敗北した後、1919年のヴェルサイユ条約によって、1922年にはフランス領カメルーン(東部)とイギリス領カメルーン(西部)として委任統治領になった。
その後ドゴールの自由フランスの拠点のひとつに第二次世界大戦中なり、戦後に信託統治領となった後、1957年に東部のフランス領カメルーンには自治が認められることとなった。1960年には北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョを大統領として独立を果たした。
西部のイギリス領カメルーンは北部と南部それぞれで実施した住民投票により、1961年に北部はナイジェリアと合併し、一方南部はカメルーンとの連邦制となる。1972年、国名をカメルーン連合共和国として連邦制を廃止し、更に1984年、現在の国名に変更された。