ジンバブエの世界遺産
ビクトリアフォールズ
ビクトリアフォールズは、ザンビアとジンバブエの国境に位置している。最大幅が1700m、最も深い滝壷は落差が108m、1分間に34万立方メートルもの水が一気に流れ落ちる大迫力の滝で、北米のナイアガラの滝と並ぶ、世界三大瀑布のひとつである。1855年にイギリス人探検家であるデビッド・リビングストンによってヨーロッパに紹介され、当時のイギリス女王の名にちなんで、ヴィクトリア・フォールズと名付けられた。現地名であるモシオ・トゥニヤは「雷鳴のような水煙」という意味である。街から滝までは徒歩10分ほどで着く。
マナ・プールズ国立公園、サピとチェウォーレのサファリ地区
マナ・プールズ国立公園は、ジンバブエ西部の野生生物保護地域のことで、隣接するサピとチュウォールのサファリ地域と共に、世界自然遺産に登録された。約6000キロ平方メートルに、ゾウ、サバンナシマウマ、アフリカイギュウ、インパラなどの大型哺乳類・草食動物、川辺にはワニ、鳥類300種以上が生息している。また、絶滅の危機に瀕したナイルワニの貴重な生息地としても有名である。
マトボ丘群
マトボ丘群は、ジンバブエの都市であるブラワヨの南35kmにあるサバンナと起伏に富んだ岩山である。丘が並ぶ地域は3100平方キロメートルに及び、そのうち440平方キロメートルがジンバブエ最古の国立公園になっている。野生動物は、黒と白のサイ、黒ワシ、ヒョウ、キリン、シマウマ、クロテン、それに、ヒヒが生息している。また、岩々が絶妙のバランスで積み重なっている奇観や、ムポポマ川渓谷沿いの絶景などを楽しむことが出来る。
ジンバブエの歴史
13世紀〜14世紀中、リンポポ川中流域でグレート・ジンバブエと呼ばれている王国が栄え、かなり大規模な交易を行っていた。15世紀頃、グレートジンバブエは放棄され、代わってトルワ王国が興り、覇権を握った。16世紀〜17世紀にかけて、ポルトガル人の侵入に苦しんだが、撃退し、地方首長国の分立状態となった。
19世紀後半にイギリス南アフリカ会社に統治され、第一次世界大戦後にイギリスの植民地にさせられイギリス領南ローデシアとなった。国土のほとんどは白人農場主の私有地となり、住民達には自由が与えられなかった。1960年代から黒人による独立運動が行われていたが、民族自立までの道のりは険しく、人種差別政策が進み、ローデシア紛争が起きた。イギリスの調停により紛争は終結し、1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立した。カナーン・バナナが初代大統領に、ロバート・ムガベが初代首相に就任した。
1987年からは議院内閣制を廃し大統領制に移行、首相職も廃止し、ムガベが大統領に就任した。1999年、コンゴのカビラ大統領と親交していたムガベ大統領は内戦が起きたコンゴに約1万人の軍を派兵し、これに反対する運動がコンゴの都市部を中心に活発に起き、派兵直後にカビラ大統領は暗殺されるなど、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化していった。2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配するファスト・トラックが開始され、白人の持っていた農業技術が失われ、インフレーションが発生した。